2011年5月31日火曜日

企業 人材育成部門のポジショニングの考察

企業における人材育成部門はどんなポジショニングなのだろうか?

 企業の人材育成とは企業内でどんなポジショニングを採ってきているのであろうかという素朴な疑問を検討してみたい。これまで、企業内人材育成は、企業内の活動において、一つの聖域としての取り扱いをされて来た。聖域の意味にも種々あろうが、人材育成には、あまり期待されてこなかったというのが本当のところかもしれない。

その理由はこんなところに垣間見られる。人材育成部門に任用される人から、人材育成部門のポジショニングを検討してみると、以下のような場合に該当するのではなかろうか。
    ある職種でこれまで頑張ってきた人の定年前のポジション。(ご苦労様ポジション)
    ある職種では時代遅れで、引き取り手のいない人のための安住の地。(救いのポジションン)
    ある職種での経験を活かし少し人材育成を経験させてみて次のポジションへ異動させるようなポジション。(腰掛ポジション)
    ある職種でこれまでに目を見張るような業績を挙げ、その経験を周知させるために、その本人を任用。(やらせてみようかポジション)
    日本企業における人事(人材管理と人材開発の両方を)で、人材開発を長年やってきた人のためのポジションで、その専門的知識の有無には関係ないポジション。(なんちゃって専門家ポジション)
    人材育成に対する専門的知識を有している人のポジション。(専門家ポジション)
あなたの会社の人材育成部門のポジションはどこに入りますか?

 企業の人材育成部門は、ここに示した6つの特徴的ポジションのどこに当てはまるのが良いのであろうか。企業により、人材育成部門に対する期待感が異なることや、そもそも企業内の人材育成に専門性が必用なのかという疑問等々、様々な疑問が湧いてきそうである。ここで、企業の代表的な部門を、2つの軸、Specialty とGeneralityにて分類してみる。ここで、Specialtyとは、高度の専門知識を有することを意味し、Generalityとは特に高度のマネジメント能力を意味することにし、可能な限り極端な表現をする。


 上記に記した①から⑥までの企業の人材育成部門の例示を上図に組み込んで表示した。③と④の事例はどこにポジショニングすべきか明らかでないが、感覚で置いてみた。また、上図に記したポジショニングには多くの批判もあると思われるが、個人的な意見でありご容赦願いたい。
 
 日本企業における人材育成部門の企業におけるポジショニングは、①②あるいは、良くて③である。一方の欧米企業では、⑥の位置に存在する。USA企業における、CLOChief Learning Officer)という人材育成部門のトップは、経営層に存在している。これに比べて、日本企業でCLOを導入している企業は1社もない(1社導入したという小さな会社の案内を見たことがあるが、その後継続されているかは不明)という現実は、如実に人材育成部門へのポジショニングの違いを意味する。

今後は、新興国の企業でも、CLOを導入する企業が増えるであろう。世界の企業を取り巻く環境は大きく変化した。競争の原理は、益々、知識創造を軸にして展開されていくと言われている。そんな社会の中で、日本企業の人材育成へのポジショニングへのパラダイムシフトが必要になるのではなかろうか。10年後に、世界で勝てない日本企業が続出しないためにも。
 
 とは言え、日本には、企業人材育成の専門家を養成する機関がないという問題もある。USAには、大学院でMBAのように、インストラクショナルデザインの専門家を養成する修士課程が多数存在している。一方の日本では、熊本大学の教授システム学専攻のみが学位を認定できる唯一の機関である。しかし、驚くことはないのかもしれない。MBAも、最近国内で育成しようという機関が出てきたが、数年前まではそのような機関もなかった。

専門性が高いことへの批判もあるのか。MBAに対するニーズは、一時の盛り上がりからは多生低下したように見えるが、継続的なニーズが存在している。MBAの領域では専門性の高さは現在も求められている。一時話題になったMBAの罪についてミンツバーグが論じた本があるが、これは行き過ぎたコンサルタントへの批判であり、専門性への批判とは異なった。やはり専門性が高いことは、より高度な対策を立案できる可能性が増すのである。そのように考えると、企業人材育成部門のポジショニングも、より高い専門性を求めるようなポジションへの変化が求められる。少なくとも①②③④のポジショニングに留めるのは問題であろう。

日本における企業の人材育成部門のポジショニングが、このような位置づけになっているのは何故なのであろうか。日本企業における雇用体系と人事制度は長期雇用と年功序列で成り立ってきた。これらの体制下では、企業に入ることはすなわちファミリーになるということに近い。ファミリーというネットワークの中では、年長者が若い人を育てるという自然発生的な人材育成の仕組みが、企業内のそれぞれの組織で構築された。一子相伝的な人材育成が、日本国内のあらゆる組織内に存在し、勝手に現場で育っていく仕組みができあがっていた。子弟制度と言われる、日本企業の人材育成制度の原点である。これらを研究した有名な研究に、野中先生の知的創造理論がある。また、レイヴとウェンガーが示した正統的周辺参加という理論も、学習者があるコミュニティーに参加することにより、学習が進むということを証明した。

日本の人材育成は、現場で起こっていたのである。現在はどうなのであろうか。現場で学習が起こっているのであろうか。この問いには、中原先生の「職場学習論」に詳しい。また、株式会社富士ゼロックス総合教育研究所の坂本さんが発表した「人材開発白書2009―他者との”かかわり”が個人を成長させる」でも詳しく証明されている。(両理論と、現在の職場での学びの検証は、重要な理論と研究であり、またどこかでゆっくりと振り返りたい。)

日本での人材育成は、今でも現場で起こっている。しかし、その頻度は、昔に比べて低下していることは、すでに記載したブログにとおりである。「勝手」にという言葉が適当ではないかもしれないが、現場で現場に合ったように、「勝手」に人材育成が行われてきたが、その機会は、昔に比べて低下している。

またまた、とんでもない方向に話が進んできてしまった。ここで、話を戻すことにする。現場で学習が起こっていたという歴史は、人材育成部門のポジショニングを低下させてきた一つの要因であろう。人材育成部門は、研修を企画し実施すれば良かったのであり、研修に参加する人は、研修にリフレッシュのために参加していれば良かったのである。ゆえに、人材育成部門は、極端な表現ではあるが、誰でもよかったのかもしれない。(現在人材育成に携われている方や、過去に携われていた方には、大変失礼な表現であるが、あえて記載することにした。過去に担当していた小職自身が、このように感じていたので。)

企業を取り巻く環境、人材育成の環境は大きく異なってきている。しかし、歴史が残したこれまでの学習が進む仕組みも現存する。単に昔に戻ることは得策ではないことを、中原先生も「職場学習論」で指摘している。より効率的に、効果的に、魅力的な学習環境を提供していくには、変化する環境と、変化しない環境を十分に理解し、専門的な処置が必要になっているのではなかろうか。

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