2011年11月2日水曜日

ある企業の人材育成の現場での素朴な疑問

久しぶりのブログで、他のサイトに掲載依頼があり書いたものです。物語にしようかな?!?


私が企業の教育現場に異動になったのは、20027月であった。社内プロジェクトを一方に抱え、営業部員(製薬企業の営業で、MRと呼ばれる)への知識や営業スキルの教育研修を担うことになった。

最初に驚いたのは、新入社員教育の現場を見たときであった。インストラクターは、PPTを用いて、一所懸命講義をしていた。後ろで見ていた私は、違和感を覚えた。新入社員の2/3は、板書されたものをノートに書きとっていた。残りの1/3は、ボーとしているか、内職をしているか、眠そうにしていた。これは、このインストラクターであるからなのだろうと思い、別の日に別のインストラクターの講義を見学した。そこでは、唖然! 緑色の黒板?に向かって、一所懸命講義をしていた。

教室から戻る、インストラクターは満足感一杯で机に戻る。
彼に、今日の講義はどうだったのと聞くと、
「まだ、何人かは眠そうにしています。気合が足りないんですよ。」と言い放った。
私は心の中で、「そうかな?あなたの講義が面白くないのでしょう?」とつぶやく。

そんなやり取りがあって、少しの時間がたったある日に、教室から戻ったインストラクターが怒っていた。その理由は、
「ある新入社員が、今日出題されたテスト問題は、まだ講義を聞いていないところが出題されたと抗議をしてきた。」という。
私は心の中で、
「そうだろうな、講義をしているのだから、そういわれても当然だよな。」
「でも、そんなMRを現場では求めていないと思うけどな?」と。
インストラクターは続けて、
「講義を聞いていないところが出されて文句を言われる筋合いはない。」
「彼らは研修終了後に現場に出て、MRとして活動する。MRが教えてもらっていないからできないとは言っていられない。彼らは、自身で考え、自身で調べて、顧客とのやり取りをしていくのが仕事だ。」というのであった。
私は、心の中でつぶやいた。
「えっ!あなたも現場がどんなMRを求めているかは、分かっているのか!」
「でも、あなたは、新入社員が自分で考えて行動するような講義をしていないじゃないか!」と。
インストラクターが望む新入社員像と、彼らが行っている新入社員研修には一貫性がないと思えた瞬間であった。そして、少しだけ安心した。なぜなら、インストラクター自身が現場のMRに求めることを理解していないわけではないことが分かったからであった。

そもそも、講義をしても、聞いていない人は聞いていないし、聞いている人も学習していると思えないなという疑問が沸々と湧いてきた。相当前に、私がMRであった頃に研修に参加した時に、今日の学習すべき内容が提示され、勝手に読んで、分かればそれで終わりであった。分からないところがあればそこだけ質問して疑問を解決すれば、本日の学習を終了していた。残った時間は内職をしていたなという記憶がよみがえった。講義される声が耳障りでなければ許せるが、耳障りな場合は内職すらできない苦痛な時間であったことを思い出してしまったのである(目に浮かぶ!!)。

あの頃と、今と何も変わっていないのだと思うと、今の新入社員も可哀そうだなと思えたし、何より、彼らの学習のためにはなっていないと思えた。また、現場が望む新入社員に育成するような方法に変えようと考えた。
そこで、私はつぶやいた、
「新入社員の研修では、一切講義させない!!」と。

2011年6月19日日曜日

Party Stream for Japan 18 June 2011

Party Stream for Japan に参加してきました。
おもしろかったです!!!

NPO法人カタリバ 今村久美氏
・ハタチ基金の設立は、ナナメの関係で支える「学びと自立」を目指したもの。
・現地の自立を支援するモデルとして、女川で立ち上げる。
・支援には、支援にならない支援がある。
・他律、自立、支援をどう考えるか?ということを考えさせられる。


Tokyo Art BeatNPO) 田原新司郎氏 佐々木朋美氏
・東京近郊にアートスペースが800か所ある
・今震災に対して一生懸命活動しているアーティストとして以下の3名を紹介。
1.渋谷駅の岡本太郎の壁画に、原発の絵が追加⇒ChimPomというチームが行った
2.Share FUKUSHIMAというイベント
3.未来美術家・遠藤一郎(車で生活しているらしい)
・注目のトレンドとして、商取引の多様化(クラウドファンディング、電子ポイント)と個人活動の多様化があり、これは、個人とアートの関わりと、街とアートの関わりに変化をもたらす。
Artと人間の心の関係を再考する時期であると感じた。


日本科学未来館 池辺靖氏
SPEEDI:放射能の測定機能(原子力安全技術センター)の問題点は、情報を持っているヒトは使い方を知らないことで、情報を受け取る側は、その解釈の仕方をしらないことである。
・福島第1原発事故の時系列
3/15読売新聞が機能不全を指摘⇒センターはやっている⇒文科省に提出している
3/22USA空軍の測定結果が発表
3/23SPEEDIの結果が公開される=USA空軍と結果と一致
5/2細野さんがSPEEDIは欠陥ソフト
5/3SPEEDI結果が毎日発表される
・情報は誰のものか?という問いに対し、情報は市民のものであり、正しい情報を明らかにすべきである。
・情報源として、中央信頼モデルと市民信頼モデルがある。どちらを重視すべきであるのかという問題提起。
☆中央信頼モデルと市民信頼モデルのPros&Consを十分検討する必要がりそうと感じた。


慶應義塾大学 高橋俊介氏  緊急事態における組織の意思決定
・意思決定の大原則は、情報、判断基準、権限であり、これらを重なるようにしなければならない。
・福島第1原発での意思決定
東電吉田所長は情報と技術を持っていたが、権限はなかった
本店は、技術的判断基準は持っていなかったが、情報が限られていた
本店での意思決定システムが不明確であった
・大阪地検の村木元局長事件
立て序列主義の決済制度のなかで、高検検事長の「係長の単独犯のわけがない」の一言で、現場にプレッシャーがかかると、損害回避志向(現状維持)が生じる。これが、改竄の原因である。
Global石油メジャーは、石油プラントの廃棄判断は現場の主任技術師がもつ。
・意思決定プロセスの日本と欧米の違いを生む根本的な思想の違いは、欧米では事故発生が前提でリスクを思考するが、日本では、事故は起こることがないとうのが前提であることである。
☆意思決定に問題があることは、IMFも指摘した。日本企業の意思は、責任の所在を明らかにしないところが悪いところであり、これまでの企業を支えてきた良い仕組みでもあったよなと思うが、問題発生時には確かに弱い。
☆これからの企業の意思決定は、どうすべきかを再検討する時であるかも。


同志社女子大学 上田信行氏 可能性の教育学
・可能性を引き出すヒントは、身体にありそうだ。
ReflectionからPerceptionへの変換が必要になるぞ・・・。
・みんなで、身体を動かして、歌を歌って、・・・。
☆その神髄は、著書:プレイフル・シンキングを読むとわかると思います。
 

MOTIVATION  経団連ホール 2011年6月18日 東京未来大学主催

MOTIVATIONをテーマにした公開セミナーが経団連ホールで、618日に、東京未来大学主催で開催された。

prof.市川伸一 東京大学 
内的動機づけと外的動機づけの研究の歴史を振り返りながら、両者を比較検討。モチベーションが高まるというのは、なりたい自己(Goal)となれる自己(自己効力)の拡大である。
Key Word:
・学習動機の2要因性モデル 
・デシのソマパズル:ロチェスター大学大学院のエドワード・デシ教授たちが、2000年に「自己決定理論」を発表し、意欲と自律性の関係を明確にした。

Prof.金井壽宏 神戸大学
モチベーションは、不安と展望を持つとき、緊張と希望を持つときに高まるということを、キャリア論になぞらえて指摘。Self-regulated            motivation
Key Word
・サイガニック効果 
Daniel Gilbert  Stumbling on Happiness is a non-fiction book

Prof.大坊郁夫 大阪大学
Well beingには個人のWellbeing 社会のWellbeingが存在し、これをCommunicationがつなぐことになる。Communicationが社会と個人を幸福にする鍵である。

Key Word
Well beingを磨くには、自己把握、基礎力、対処力、調整力が必用で、これらがCommunicationを向上する
Well beingの概念には、HEDONIC(快)アプローチ EUDAIMONIC(善・福)アプローチがある。
Seligman 2002 幸福の3タイプ;幸福感を「H=S+C+V」の公式で説明する。Hは持続する幸福のレベル(enduring level of happiness)、Sは設定範囲(set range)、Cは生活環境(circumstances of your life)、Vは自発的にコントロールできる要因(factors under your voluntary control)を表している。


小笹芳央 株式会社リンクアンドモチベーション
退席したため、レポートなし。
別の方から情報が入れば、再掲載。

2011年6月4日土曜日

企業研修 研修(教育)効果測定の概観と疑問?

 企業の教育担当者の悩みの一つに、教育研修の効果を測定することがある。これは、経営層からの強い要望による。これまで、企業内人材育成は、企業内の活動において、一つの聖域としての取り扱いをされて来た。聖域の意味にも種々あろうが、人材育成には、あまり期待されてこなかったというのが本当のところかもしれない。しかし、この環境は一変した。

企業経営では、様々なCSFCritical Success Factor)が設定され、それを測定する指標としてKPIKey performance Indicator)を決定し、経営状況のモニタリングが行われ、企業経営の診断と、経営の妥当性の検討、経営の変革が行われる。これらは、企業の様々な部門で設定され、経営改革が行われてきた。企業の人材育成は、これまで、この範疇に属していなかった、あるいは、見逃されてきたというのが本当のところであろう。しかし、企業経営における人材育成活動が、経費としての捉え方から、投資としての捉え方への変化に伴い、あるいは、企業の人材育成が経営の主要な課題として捉えられ、企業活動の重要なファクターと捉えられるようになったことにより、投資した人材育成が、経営にどのように影響を与えているのかという、経営層の素朴な疑問の的となった。人材育成担当者は、この経営者の素朴な疑問である、「人材育成による効果は何なのか?」という質問への回答に苦慮することになる。

 企業内研修効果測定をどうするのかという疑問に回答する、一つの指標として、カークパトリックが示した、研修効果測定の4つのLevelがある。Webで「研修効果測定」で検索すれば、大抵の場合、この言葉に行きつく。企業の人材育成担当者は、カークパトリックのLevel4の研修効果に行きつくことになる。すると、次の思考として、Levelをどのように測定すれば良いのだろうかという次の疑問に到達する。4つのLevelの中で、Level1と2は、何とか測定できそう。でも、Level3と4は厄介だなというのが正直な感想になる。

 そこで、Level1、2を測定することにし、Level1のために研修後アンケートを準備し、Level2のために研修前のテストと研修後のテストを準備し、これらを新たにプログラムの中に組み込み実施する。結果を集計し、研修に対するアンケート結果から研修が、良かったところはどこで、修正すべき点はどこかを明らかにし研修に修正を加えていく。ここで行われる、プロセスは、教育の評価測定のプロセスに則っているので問題はないし、提供した研修の修正を行っていくという、教育効果測定の一つの目的である、形成的評価という視点からも問題はない。

 でも何かおかしくないであろうか?これだけで良いのかという疑問が湧く。企業内の教育において最も重要な、ゴールの設定はどこに行ってしまったのであろうか。企業内教育では、教育目標を定め、そこに到達するために教育を行う。それを実現するための手法としてインストラクショナル・デザインが示す最初の重要なポイントは、ゴール設定(出口を決める)と、入口を調べる・入口をそろえる(入口を決める)、その間をデザインすることである。出口を決めるということは、最初に出口が明確に示されているということである。最初に出口が示されているのであれば、そこに至ったか、至らなかったかを測定すれば良いことになる。例えば、教育の出口であるゴールが、何かの行動を変えることであれば、それを確認する(評価する)方法が先に作成されているということを意味している。この事例では、教育のゴールがカークパトリックのLevel3であるから、これを測定すれば良いことになる。これは、総括的評価と言われるものに近い。

 教育の評価測定というと、測定手法やLevel測定にのみ焦点化されることがある。教育効果の測定の本質をもう少し検討していく必要があるのではなかろうか。この疑問への解として、形成的評価、総括的評価、インストラクショナル・デザイン、教育評価研究というキーワードで次回に検討したい。

2011年5月31日火曜日

企業 人材育成部門のポジショニングの考察

企業における人材育成部門はどんなポジショニングなのだろうか?

 企業の人材育成とは企業内でどんなポジショニングを採ってきているのであろうかという素朴な疑問を検討してみたい。これまで、企業内人材育成は、企業内の活動において、一つの聖域としての取り扱いをされて来た。聖域の意味にも種々あろうが、人材育成には、あまり期待されてこなかったというのが本当のところかもしれない。

その理由はこんなところに垣間見られる。人材育成部門に任用される人から、人材育成部門のポジショニングを検討してみると、以下のような場合に該当するのではなかろうか。
    ある職種でこれまで頑張ってきた人の定年前のポジション。(ご苦労様ポジション)
    ある職種では時代遅れで、引き取り手のいない人のための安住の地。(救いのポジションン)
    ある職種での経験を活かし少し人材育成を経験させてみて次のポジションへ異動させるようなポジション。(腰掛ポジション)
    ある職種でこれまでに目を見張るような業績を挙げ、その経験を周知させるために、その本人を任用。(やらせてみようかポジション)
    日本企業における人事(人材管理と人材開発の両方を)で、人材開発を長年やってきた人のためのポジションで、その専門的知識の有無には関係ないポジション。(なんちゃって専門家ポジション)
    人材育成に対する専門的知識を有している人のポジション。(専門家ポジション)
あなたの会社の人材育成部門のポジションはどこに入りますか?

 企業の人材育成部門は、ここに示した6つの特徴的ポジションのどこに当てはまるのが良いのであろうか。企業により、人材育成部門に対する期待感が異なることや、そもそも企業内の人材育成に専門性が必用なのかという疑問等々、様々な疑問が湧いてきそうである。ここで、企業の代表的な部門を、2つの軸、Specialty とGeneralityにて分類してみる。ここで、Specialtyとは、高度の専門知識を有することを意味し、Generalityとは特に高度のマネジメント能力を意味することにし、可能な限り極端な表現をする。


 上記に記した①から⑥までの企業の人材育成部門の例示を上図に組み込んで表示した。③と④の事例はどこにポジショニングすべきか明らかでないが、感覚で置いてみた。また、上図に記したポジショニングには多くの批判もあると思われるが、個人的な意見でありご容赦願いたい。
 
 日本企業における人材育成部門の企業におけるポジショニングは、①②あるいは、良くて③である。一方の欧米企業では、⑥の位置に存在する。USA企業における、CLOChief Learning Officer)という人材育成部門のトップは、経営層に存在している。これに比べて、日本企業でCLOを導入している企業は1社もない(1社導入したという小さな会社の案内を見たことがあるが、その後継続されているかは不明)という現実は、如実に人材育成部門へのポジショニングの違いを意味する。

今後は、新興国の企業でも、CLOを導入する企業が増えるであろう。世界の企業を取り巻く環境は大きく変化した。競争の原理は、益々、知識創造を軸にして展開されていくと言われている。そんな社会の中で、日本企業の人材育成へのポジショニングへのパラダイムシフトが必要になるのではなかろうか。10年後に、世界で勝てない日本企業が続出しないためにも。
 
 とは言え、日本には、企業人材育成の専門家を養成する機関がないという問題もある。USAには、大学院でMBAのように、インストラクショナルデザインの専門家を養成する修士課程が多数存在している。一方の日本では、熊本大学の教授システム学専攻のみが学位を認定できる唯一の機関である。しかし、驚くことはないのかもしれない。MBAも、最近国内で育成しようという機関が出てきたが、数年前まではそのような機関もなかった。

専門性が高いことへの批判もあるのか。MBAに対するニーズは、一時の盛り上がりからは多生低下したように見えるが、継続的なニーズが存在している。MBAの領域では専門性の高さは現在も求められている。一時話題になったMBAの罪についてミンツバーグが論じた本があるが、これは行き過ぎたコンサルタントへの批判であり、専門性への批判とは異なった。やはり専門性が高いことは、より高度な対策を立案できる可能性が増すのである。そのように考えると、企業人材育成部門のポジショニングも、より高い専門性を求めるようなポジションへの変化が求められる。少なくとも①②③④のポジショニングに留めるのは問題であろう。

日本における企業の人材育成部門のポジショニングが、このような位置づけになっているのは何故なのであろうか。日本企業における雇用体系と人事制度は長期雇用と年功序列で成り立ってきた。これらの体制下では、企業に入ることはすなわちファミリーになるということに近い。ファミリーというネットワークの中では、年長者が若い人を育てるという自然発生的な人材育成の仕組みが、企業内のそれぞれの組織で構築された。一子相伝的な人材育成が、日本国内のあらゆる組織内に存在し、勝手に現場で育っていく仕組みができあがっていた。子弟制度と言われる、日本企業の人材育成制度の原点である。これらを研究した有名な研究に、野中先生の知的創造理論がある。また、レイヴとウェンガーが示した正統的周辺参加という理論も、学習者があるコミュニティーに参加することにより、学習が進むということを証明した。

日本の人材育成は、現場で起こっていたのである。現在はどうなのであろうか。現場で学習が起こっているのであろうか。この問いには、中原先生の「職場学習論」に詳しい。また、株式会社富士ゼロックス総合教育研究所の坂本さんが発表した「人材開発白書2009―他者との”かかわり”が個人を成長させる」でも詳しく証明されている。(両理論と、現在の職場での学びの検証は、重要な理論と研究であり、またどこかでゆっくりと振り返りたい。)

日本での人材育成は、今でも現場で起こっている。しかし、その頻度は、昔に比べて低下していることは、すでに記載したブログにとおりである。「勝手」にという言葉が適当ではないかもしれないが、現場で現場に合ったように、「勝手」に人材育成が行われてきたが、その機会は、昔に比べて低下している。

またまた、とんでもない方向に話が進んできてしまった。ここで、話を戻すことにする。現場で学習が起こっていたという歴史は、人材育成部門のポジショニングを低下させてきた一つの要因であろう。人材育成部門は、研修を企画し実施すれば良かったのであり、研修に参加する人は、研修にリフレッシュのために参加していれば良かったのである。ゆえに、人材育成部門は、極端な表現ではあるが、誰でもよかったのかもしれない。(現在人材育成に携われている方や、過去に携われていた方には、大変失礼な表現であるが、あえて記載することにした。過去に担当していた小職自身が、このように感じていたので。)

企業を取り巻く環境、人材育成の環境は大きく異なってきている。しかし、歴史が残したこれまでの学習が進む仕組みも現存する。単に昔に戻ることは得策ではないことを、中原先生も「職場学習論」で指摘している。より効率的に、効果的に、魅力的な学習環境を提供していくには、変化する環境と、変化しない環境を十分に理解し、専門的な処置が必要になっているのではなかろうか。

2011年5月30日月曜日

グリーンブック ライゲルース教授の講演

_Prof. Reigeluth Lecture meeting in Ritsumeikan University


2011529日にProf. Reigeluthの講演会が立命館大学で行われ参加してきた。ID理とんとモデル研究に関してまとめられた、3冊の本は、IDを学ぶ者にとって、知らない人はいない、あのグリーンブックの執筆者である。熊本大学の鈴木先生が、通訳をされるということで、安心して参加した。実際には根本先生がほとんど通訳してくださいました。

講演の内容は、The Future of Instructional Theory (ID理論の行方)という、大きなテーマであった。具体的には、インストラクショナルデザインにおけるパラダイムシフトについての概観、教育現場で起こっているパラダイムは何か、新しいパラダイムのサブシステムとは何か、新しいパラダイムのID理論とは何か、新しい技術の役割は何かについて、途中質疑応答を行いながら、3時間の講演になった。当初予定されていたアジェンダでは、Prof. Reigeluthの講演の後、鈴木先生との対談が予定されていたが、活発な質疑によりポストポンされてしまった。

Prof. Reigeluthの講演は、日本人にもわかるような英語で話してくださったので、私でも理解できる内容であった。教育を取り巻く環境変化に応じて、パラダイムも変化する。パラダイムが変化するのに合わせてID理論も変化する。本講演で取り上げられた、新しいパラダイムのID理論として主要要素に取り上げられたのが、プロジェクト型学習と、インストラクショナル支援についてであった。以下のその超概略を記載する。

プロジェクト型学習は、パフォマンスベースの学習や、課題解決型の学習を含んで、グループで協同して学習していく。プロジェクト型インストラクションの方法として、適切なプロジェクトを選ぶこと、グループを作ること、チューターは高次の学習をファシリテーとする、真正な評価をすること、徹底することなどを挙げられていた。

もう一つの新しいパラダイムのID理論として取り上げられたインストラクショナル支援については、プロジェクト型学習を実施しながら、学習者が行き詰るさいの支援方法を示している。学習者が学んでいる学習領域に応じた、インストラクションの戦略を考え、インストラクションを施していく仕組みが必要である。ただ単に、プロジェクト型学習を行わせれば、全ての学習者が同じように学習が進むわけでは無い。また、学習者には得手不得手がある。個々の学習者が学んでいる領域により、学習促進のためのインストラクションの戦略を検討し、学習項目にあったインストラクションによる支援が必要になる。」個々の学習者に対応して、また、個々の学習領域に応じてインストラクションの支援が求められる。

このような学習支援の出来るテクノロジーも重要で、多くのものが開発されてきているが、それぞれがバラバラな発展をしてきているので、これらを統合し、使い勝手の良いものにまとめ上げる必要がある。

 というような内容で、これでは端折り過ぎかもしれませんが、大体の内容を網羅しているのではないかと思います。新しいパラダイムにおける新たな役割として、学習は学習者主体であるという考えのもとに、学習者は自己主導型学習(自己調節学習と同意ではないかと思います)にならなければならない。学習パートナーの存在が重要である。学習を中心とした技術の統合も必要である。学習者を支援するデザイナーやファシリテーター、メンターの存在が必要である。という主張をされていました。

 企業教育において、これらは大変重要なことであると思います。日本の場合は、高等教育において、徐々に社会構成主義に基づき、学習者主体という言葉が少しずつ理解されだしてきています。これを機に、学習者主体である学習論議のうねりが大きくなるといいなと感じています。企業の人材育成などは、まさに学習者主体でなければなりませんし、成人学習に基づくものでなければなりません。また、個々の学習者は自己主導型学習者にならなければ、Life Learningは起こらないでしょう?!?

以下、本講演に先立って送られた講師紹介を転記(一部省略)しました。
講演者紹介:
教育デザインとテクノロジーを専門とする研究者であり,教育工学の研究分野として教育設計(InstructionalDesign)の領域の確立に多大なる影響を与え続けてきたことで知られている.自身が提唱した精緻化理論(ズームレンズモデル)で長期間にわたる教育設計手法の先鞭を切ったことに加え,彼が編集した「ID理論とモデル」(通称グリーンブック)三部作は世界各地の多くの大学院でテキストとして用いられてきた。

熊本大学大学院教授システム学専攻長・教授。フロリダ州立大学大学院留学中に発行されたグリーンブック第一巻をテキストとして学んでからのライゲルースファン。以来、研究内容・方法に色濃くライゲルースからの影響を受けてきた。20056月には,放送大学大学院科目「人間情報科学とeラーニング’06」の取材でインディアナ大学を訪問しインタビューに応じていただき、その素顔を番組の中で紹介した。
 
名称:ライゲルース教授講演会
主催:熊本大学大学院教授システム学専攻
日時:2011年5月29日(日)14:00-17:00
場所:立命館大学衣笠キャンパス至徳館

アジェンダ:
14:00-15:30ライゲルース講演「教授理論の新しいパラダイム:グリーンブックIIIの編集を終えて」
15:30-15:45(休憩+質問集約)
15:45-17:00ライゲルースとの対談「ライゲルース教授の業績に学ぶこと」
聞き手・通訳:鈴木克明(熊本大学)

2011年5月23日月曜日

IDプロセスモデルのADDIEモデル と 戦略的教育設計モデル

 インストラクショナル・デザイン(ID)プロセスの代表的なものに、ADDIEモデルがある。分析、設計、開発、実施、評価の5つのプロセスより成り立つ。教育をデザインする際に、PDCAを回すことに近い考え方である。また、マネジメントサイクルと戦略立案や課題解決に使われる思考のフレームワークは、非常に似かよったアプローチである。ADDIEモデルによる教育の設計も、PDCAサイクルと同様で、同じようなアプローチである。 すなわち、マネジメントサイクルのPDCAを回すように、ADDIEモデルを基に教育設計をする。あるいは、課題解決のゴールと現状分析を基に次の対策を考えるように、ADDIEモデルにて教育開発を行う。

 これと同様に、より複雑な教育設計には、複雑化する経営戦略立案時に用いられるような、思考のフレームワークである仮説思考と同様なアプローチで教育開発を行おうとするのが、「仮説思考に基づく戦略的教育設計(筆者が勝手に名付けたも)」である。図に示したように、PDCAPlanADDIEAnalysisである分析のプロセスを、強化したものであることがわかる。


 ここで、企業教育の現状を、企業経営と対比して再検証してみる。企業の経営にはおいては、経営目標を設定し、現状分析を精緻に行い、経営の予測を行い、経営戦略を立案して経営活動を行う。また、企業のマーケティングや営業では、現状分析を行い、販売計画を精緻に立案し、マーケティング・営業戦略を立案する。一方、企業の人材育成はどうなっているのであろうか。企業経営や営業と同じようなプロセスを経ているのであろうかという点が疑問点である。企業の人材育成を企業経営と同様のプロセスで行っている企業は、稀である。企業の人材育成においても、企業の経営や、マーケティング・営業と同様のプロセスにてアプローチすべきであろう。そうすることにより、効果的で、効率的な人材の育成が可能になる。

ここで示す、「仮説思考に基づく戦略的教育設計モデル」は、企業の人材育成のプロセスを、経営やマーケティング・営業のプロセスと同様の視点で捉えた、プロセスモデルである。企業経営分析から戦略立案までには、仮説を基に分析を繰り返す必要がある。例えば、より複雑化した現代の経営では、問題の抽出のプロセス一つをとっても、表在化している問題と、表在化する問題の真因の特定を行うだけでも、仮説思考を基に真因を特定していくプロセスが求められる。これと同様に、企業の人材育成にて、ヒトの現状分析を行う段階でも、表在化している問題点と、その真の原因を探し出すプロセスでは、仮説思考によるアプローチが必要になる。

 教育の目標設定(前テーマの「出口の設定」)と対象者の現状把握(入口の把握)は、非常に大切である。しかし、教育対象者の現状の分析(前項の「入口の調査)は、そう簡単ではない。教育対象者の表在する問題点は明らかになるが、その真の原因を突き止めなければ本当の課題は見えてこない。本当の課題が見えてこないと、提供する教育内容は教育対象者にマッチしたものにならない。これは戦略立案の初期のプロセスに似ているということである。
 
表在する課題の真の原因を探る作業を行う際に、一定の仮説を立て、真因へ近づこうとする。あるところまで真因が見えてきたら、その仮説検証をしながら対策を考える。これらを繰り返しながらプロセスを進めていくのが、仮説思考に基づく戦略的教育設計である。IDプロセスモデルの基本的な考え方をとらえるのであれば、ADDIEモデルで十分である。同様にPDCAサイクルだけあればマネジマントのプロセスは容易に理解できる。しかし、現実の経営では、PDCAPの実践段階だけをとっても、より複雑化してきている。企業の人材育成も、分析段階だけを取り出しても、そう簡単ではない。その一つの解決法として仮説思考に基づく戦略的アプローチがある。

2011年5月17日火曜日

インストラクショナル・デザイン(ID) 起源と 企業内人材育成

インストラクショナル・デザイン(以下、ID)の起源は、第2次世界大戦時にアメリカの兵隊教育でした。当時の米軍は、銃の取り扱いや、海洋を渡るための船の操縦、爆弾の製造といった複雑で専門的な作業ができるように、大量の人々を早急に訓練する必要にせまられていたためです。

ここでの訓練は、B. F. スキナーによるオペラント条件づけの理論を根拠として、観測可能な行動の変容に焦点があてられました。行動変容への課題は小さな下位課題に分解され、それぞれの下位課題は別々の学習目標として扱われて訓練されました。戦時下における訓練モデルの成功は、戦後、企業や工場に取り入れられ、また、初等・中等教育においても、限定的に取り入れられました。

IDの目的は、教育活動の効果・効率・魅力を高めることにあることは、前々回に触れました。IDの目的が、効果・効率・魅力にあるのも頷ける発展の歴史を持っていることになります。また、その後のIDへの誤解や現在の方向性についても、前々回に触れたとおりです。

IDは、実践学です。しかし、そのバックグラウンドには、様々な教育論や、学習理論をよりどころにしています。様々な理論を基にして実践でどのように使うのかというところに焦点化されるということになります。よって、難解な教育論や学習理論がわからなくても、IDを用いれば、それなりに効果的・効率的・魅力的な企業の人材育成が実施可能になるという点で、アメリカでは非常に有用に活用されています。

その一例として、アメリカでは、IDの理論・モデルを駆使して、学習環境の分析・評価・設計・開発などを行う専門職をインストラクショナル・デザイナー(IDer)と呼ぶ専門職が確立しています。そのために、アメリカの大学の教育系学部や大学院の教育工学系専攻では、インストラクショナル・デザインを学ぶことができ、IDerの資格認定制度も存在します。企業で人材育成を担当する人は、IDerの資格が必用であり、専門家が企業の人材育成に携わっているということになります。

一方、日本の企業の人材育成にたずさわる人は、様々な業務を経験したのちに、人材開発部門に異動になる場合や、専門職としての知識やスキルを身につけることなく、業務に携わる方がほとんどです。私自身も、営業から育成部門に異動し、初めて人材育成という業務につきました。典型的な、パターンです。

専門家が人材育成を行うのと、これまでの経験で人材育成を行うのとでは大きな違いがあります。全てのヒトは、これまで受けてきた教育の経験から、教育についての独自の知識や経験を有するというのが問題になります。決して科学的ではなく、経験則に基づく教育への偏見から、10人いれば10通りの教育論が存在するとも言われています。誰でも教育者ということになるわけです。誰でも教育者になれるがゆえに、その経験則を基に、教育論を述べることができるというのが、厄介なところです。

こんな情景に思い当たることはありませんでしょうか。居酒屋で、数人で飲みに行っていると、後輩のことで議論になる。どう育てればよいのかというのが主たるテーマになる。その際に、個々がこれまで経験してきた教育や学習から、それぞれの意見が出てくる。これが一致すると良いのですが、結構意見が食い違う。あるいは、あなたが後輩を育成する立場だとする。これまでの後輩の育成方法は、これまでの上司と相談し、結構うまくいっていた。しかし、今度異動になった、あなたの上司の育成方法がこれまでの育成方法と異なる。そこで、結構言い合いになったり、泣き寝入りしたり。そうです、個々それぞれが、何らかの教育論を持っているのがややこしいのです。特に、日本の企業における教育は、この状態で長い間やってきているということになります。

企業の人材育成を担当している人は、IDのバックグラウンドになっている、理論まで知る必要はないとしても、IDがどんなもので、どう使うと効果的・効率的・魅力的な人材育成ができるのかということを、知っていることが必用ではないでしょうか。企業の人材育成に携わる人は、これまでの学習経験や教育経験で、教育論を述べるのではなく、より科学的に学習や教育を考えられるようになる必要があるのではないかと思います。

インストラクショナル・デザイン ID ?と?は?

インストラクショナル・デザイン ID とは?

インストラクショナル・デザイン(以下、ID)の目的は、教育活動の効果・効率・魅力を高めることにあります。また、IDとは、教育活動の効果・効率・魅力を高めるための手法を集大成したモデルや研究分野、または、それらを応用して学習支援環境を実現するプロセスを指すことです。

IDという用語は、多くの誤解を招いているのが現状のようです。Web検索で、「インストラクショナル・デザイン」「ID」で検索し、上位に検索されたものの中を調べてみました。その結果、私がIDを学んでいる、熊本大学大学院教授システム学専攻の専攻長の鈴木克明先生に関係する検索結果を除くと、11件になります。その中で、大学または大学院の専門家のものが2件あり、残りの7件について検証してみました。この内、1件は大学のシラバス案内であり、これを除く6件の検索結果先は、企業のコンサルや教育を提供する会社が残りました。

6件の検索結果から、IDの何について記載しているのかをみていくと、6件ともにIDについて、インストラクショナル・デザイン・プロセスモデルのADDIEモデルについて記載されています。ADDIEモデルが記載されているだけでも良いのかもしれません。一時期前であれば、それすら記載されていないものもありましたから。 「ID」イコール「IDプロセスモデル」というのも残念な結果でした。ADDIEモデルはシステム的に問題を解決していく際に用いる一般的なプロセスを示し、プロセスの各段階で何をどう行うかの手法において、IDの研究知見が詰まっているプロセスモデルです。

ADDIEモデルをもう少し詳しく述べると、分析のプロセス、設計のプロセス、開発のプロセス、実行のプロセス、評価のプロセスになります。これは、企業でよく用いられるマネジメントサイクルのPDCAサイクルに近い考え方です。あるいは問題解決のプロセスにも近いものです。そう捉えると、企業教育を担う方には、企業教育に、PDCAサイクルのようなマネジメントのプロセスを持ち込んだ、あるいは、問題解決のプロセスを持ち込んだという理解をすると分かり易いのかもしれません。

IDへの最初の誤解は、IDはこれだけと理解していることによるのかもしれません。このプロセスを回せば、IDの目的である、教育活動の効果・効率・魅力を高めることができるという誤解です。マネジメントサイクルをしっかり回せば、マネジメントできるかというとそうでもないですよね。私自身も経験しましたが、皆さんも経験されていると思います。マネジメントサイクルを真剣に回すことは、相当にタフでないとできませんし、タフに回してもマネジメントが成功するとは限りません。これと同様に、ADDIEモデルを回しただけでは、IDの目的が達成できるとは言えないのです。IDの目的である企業での教育活動を効果・効率・魅力を高めるためには、他の手段も取り入れる必要があると思われます。

例えば、効果を上げるためには、誰に対してどんな目標達成のために教育や研修を実施するのかを明確にすることが必要です。すなわち、企業教育における入口(教育研修対象者の状況)と出口(教育研修の到達目標)を明確にすることが必要になります。そのためには、対象となる学習者の現状を把握すること。また、学習を終えた時点でどのような状態になっているのかを明らかにすることが重要になります。これらの2つのポイントが明らかになったら、次に、学習対象者の現状から、学習終了後に至るべき状況までを、どのように埋めていくのか(ギャップを埋める)を考えます。これが企業の教育研修になります。企業の人材育成は、学習者の出入口を決める。次に、そのギャップをどう埋めるか考える、ということになります。そんなに難しいことでは無いことが理解できます。

では、実際の企業人材育成は、どうなっているのでしょうか。前項のように、簡単なロジックですが、実際に実行するのが難しいのが現状のようです。例えば、数年前まで企業の人材育成のフォーカスポイントであった、リーダーを育てろということになると、実情はどうだったのでしょうか。まずは、経営会議等で、あるいは、トップダウンで、リーダーを育てろという指令が、企業の人材育成担当者に降りてきます。すると、企業の人材育成担当者は、リーダーを育てるのか。これまでだって、それなりにリーダーは育ってきているのではないかと感じつつ行動に出ます。最初にとられる行動はどんな行動なのでしょうか。大抵の場合、リーダーシップに関する研修を見つけるという作業が、企業の教育現場で起こっているのではないでしょうか。すると、教育ベンダーの中から、リーダーシップ研修を提供している会社をいくつか見つけ、数社によるコンペ等で決める。あるいは、会社のマネジメント層の誰かの知り合い、または、人材育成担当者の古くからの知り合いの教育ベンダーに相談する。このようなプロセスを通って、誰かがどこかで受講した、○●のリーダーシップ研修が良いということになり、その会社に、○●リーダーシップ研修が導入される。リーダーシップ研修の受講対象者は、30歳から40歳の次期リーダー候補が選ばれる。極端な例かもしれませんが、そんなには遠からずというところではないでしょうか。企業人材育成担当者としては、ここで導入したこのリーダーシップ研修で示されるリーダー像が、会社のリーダー像になれば良いと思いながらも、リーダーシップ研修を開始はした。企業人材育成担当者は、研修実施後研修対象者を、1年間ほどフォローアップし、教育ベンダーさんからは、リーダーが育ってきていますといわれる。しかし、企業人材育成担当者には、実際にリーダーが育っているという、実感はまだ持てない、ということになる。一方、研修を受講した社員は、リーダーシップ研修は受けたけど、これからどうなるのという漠然とした疑問が残っているというのが現状でしょうか。

私が最近確認したリーダーシップ研修(ある有名な外資教育ベンダーのリーダーシップ研修)は、トラディッショナルなリーダーシップ研修で、リーダーの発揮すべき行動に準じて、リーダーとしての発揮すべき行動を、これまたトラディッショナルなUSAの測定方法にて測定し、それを基に研修します。リーダーシップの発揮というのは、その組織の構成員により、また、業務内容により、あるいは、周りの環境により発揮すべきリーダーの要素は異なるのが普通です。それらを、状況に応じて使い分ける必要があります。これは、シチュエーショナルリダーシップ論ですね。しかし、ここで教えるのは、リーダーとしてこんなタイプのリーダーを目指してくださいという内容でした。これで、リーダーが生まれるのか?という疑問の残る研修内容でした。この研修には、研修終了、1年間のフォロ-アップがありますが、その後どうなるのかは不明です。「これで良いのか、リーダーシップ研修」ですね。

このベンダーさんの営業の方の話では、これを鵜呑みにする人もいるようです。ある会社の事例として話を伺ったのですが、彼ら/彼女らが成功した他社の事例をマネジメント層のヒトへ話したそうです。内容は、社内の業績の良い部署は、彼/彼女らがお薦めするリーダーシップタイプに合致しているという1データについてです。すると、それを信じてもらえたそうです。

現況をよく知らないマネジメント層のヒトなどは、業績の良い理由には、他の多くの背景があるのには気付かずに、その業者の発言を信じてしまうのでしょうか。しかし、この例では、マネジメント層のヒトが悪いわけでも、教育ベンダーの方が悪いわけではないのかもしれません。企業教育を取り巻く、ステークホルダーという視点で再度見直してみると、それぞれの人たちが一層懸命にやっている結果なのかもしれません。この件については、後日どこかで、企業教育を取り巻くステークホルダーという視点で考察したいと思います。

どんどん、話が別のところへ行ってしまいました。ここで、「リーダーシップ研修のどこがおかしいのか。」について、話を戻したいと思います。問題点は、最初のボタンの掛け違いにあることが明らかです。「リーダーを作れ」イコール「リーダーシップ研修」というボタンのかけ違いです。なぜ、リーダーを作るのに、リーダーシップ研修が必要なのでしょうか。IDの目的の最初に戻りたいと思います。IDの考え方では、企業教育で効果を上げるためには、誰に対してどんな目標達成のために教育を実施するのかを明確にすることが必要です。リーダーを作るのはよいのですが、リーダーとはどんな人なのかという出口、すなわち、ゴールを明らかにしなければなりません。また同時に、現状はどうなのかという入口も明らかにする必要があります。この企業で求められているリーダーとはどんなヒトを指すのでしょうか。また、求めているリーダー像が明らかになった場合に、現状の従業員はどんな状況にあるのでしょうか。これらが最初に定まれば、何をすべきなのかということが明らかになってきます。現在の企業の人材育成上の課題は、「リーダーを作れ」というところから「グローバル人材を作れ」という課題に移行してきているのだと思います。これも、同じように考えてみればよいと思います。

ここでは、IDが目指す、効果的な教育の提供についてのさわりの部分のみについて、具体的な考え方を示しました。ここで事例を挙げて触れたのは、IDの効果的な教育を行う際の、最初のとりかかりについてです。IDを実施する際の基本理論という位置づけになるのでしょうか。これだけで企業内教育が、効果的になるかというと、そんなことはありません。また、その他のIDの目的である、効率的、魅力的という点についてはまだ触れられませんでした。

2011年5月6日金曜日

企業はなぜ人材を育成するの?

ブログのサブテーマにあるように、企業の人材育成について書いていこうと思います。サブテーマのもう一方の「アート」は、人材育成の実践というのはアートみたいなものかなという漠然とした思いによります。でもまだ、「真白なキャンバス」に何から描き始めたらよいのかと迷っている。

ブログのテーマについて最初は考えてみたほうが良さそうである。そこで、「企業はなぜ人材を育成しなければならないのであろうか?」、「企業は採用したヒトを育成する必要があるのであろうか?」、「できる人材がそこにいるのであれば、そのヒトを調達してくれば良いのではなかろうか?」、という素朴な疑問から始めてみることにした。

この問いに対して、企業で人材育成に携わっている人々はどのように捉えているのであろうか。企業は、現在所有する資源を活用して、主たる業において最大限の利益を生み出すことを求められている。もちろん、主たる業は、反社会的であるわけはなく、社会に貢献する業ということである。企業が所有する資源とは何を指すのであろうか。企業の資源は、金、モノ、ヒト、情報、時間である。ヒトには知財も含まれる。ヒトが資源であるとすれば、その資源を最大限活用しようとするのには、納得できる。ヒトを資源と捉えれば、それに投資するという考え方にも納得できる。

しかし、企業はヒトを資源として捉え、投資しようとしているのであろうか。日本においては、近年にいくつかの危機であった、バブル崩壊後、近年の不況、震災などの企業の危機状態において、最初に経費を削られたのは、人材育成費ではなかったか。企業と取引している教育ベンダーの方々にお話を伺うと、「昨年は大変だった」という声をよく聞く。その理由は、企業の経営が厳しくなると、教育費用が削られ、昨年まで実施していた研修がキャンセルになったということであった。企業からしてみれば、利益を上げるためには、売り上げを上げて、経費を削るという方法しかない。売り上げが上がらないという予測をすれば、コストカットは必然である。企業が人材育成費用を削減するという動きは、ヒトを資源として捉えきれていないことを示す。もっと悪い場合は、企業はヒトを減らそうという意思決定をすることになる。このように、もし企業がヒトを資源と捉えていたとしても、企業経営の状況によりヒトは、コストになるのであろうか。あるいは、そもそも、企業におけるヒトは、コストなのであろうか。

企業の礎は、ヒトであるという思想は、ヒトをコストとしては捉えていない。少なくとも資源として捉えている、いや、資源というより、他の資源より重要は存在として捉えているのでなかろうか。企業の礎はヒトであるとするなら、企業経営が厳しい状況でも何とか守ろうとする存在がヒトなのである。経営者は、企業におけるヒトに対する思想と、経営という現実とのギャプの中で、ジレンマに長年苦しんできたのかもしれない。

一方で、これからの世界はよりグローバル化し、知の競争の時代であるといわれている。日本企業は、グローバル人材の育成に躍起になってきているし、世界では、知の競争の時代の突入に向けて国をあげて教育に力をいれ、知の創造を生むような人材を確保しようとしている。欧米をはじめ、中国やインドなどの新興国を含めてこれからを担おうとする各国の政府は、教育の変革に取り組んでいる。日本企業も、これからの時代における、競争原理は知の創造にあるということを理解しなければならない。企業は、ヒトを資源として捉えなければ、世界競争に勝てない時代に突入していることを理解することが重要である。これまでのように、企業が、企業におけるヒトをコストと捉えているようでは、今後の知識創造社会での競争力は低下するばかりであろう。日本企業が持ち続けてきた、企業の礎はヒトなりという思想は、今後のグローバル社会において最も重要な思想であり、かつ、実現すべき道標になるのかもしれない。真にヒトを資源と捉え、投資していく姿勢がより求められる時代にある。

ここでは、企業にとってヒトは、少なくとも資源であるという捉え方をしたほうがよさそうである。ビッグカンパニーであるGEでは、ヒトの育成のために、他の資源を最大限に費やしている。3Mでもヒトを資源として捉え、GE同様にたくさんの機会をヒトに提供している。トヨタでも、トヨタウェイには、ヒトを資源として捉えているがゆえの打ち手がたくさん散りばめられている。資源であるヒトに企業は投資し続ける必要があろう。

 さて、最初に掲げた素朴な疑問である、企業はヒトを育成しなければならないのかという問いには、企業におけるヒトは資源であると捉えると、その資源を有効に活用するということになる。企業がヒトという資源を有効に活用するためには、その質を向上する必要がある。企業が従業員の質を向上するためには、何らかの教育や学習環境が必要になる。

ではなぜ、質の良い人材を他から持ってこないのであろうか。日本における人材の流通は、以前に比べれば、進んできているが、圧倒的に他国と比べ少ないのが現状である。日本国内における人材が流通している市場は、外資系企業が主で、純然たる国内企業での人材の流通はそんなに進んできているわけではない。ヘッドハンティング会社のターゲットは、外資系企業であることを見えれば明らかである。

そもそも、日本国内の根底に流れる文化は、農耕民族としての文化である。簡潔に言うと、ムラ社会の文化が根底にある。ムラは、よそ者を受け入れず、閉じられた社会の中で成長していく。この文化と、長年続いた日本企業の長期雇用制度とは、非常によく整合性が取れていた。そんな文化の中で、前述の企業はヒトなりという思想は、生まれてきたのであろう。

しかし、人材の流通は、国内企業においても、M&Aやグローバル化が進み、年功序列による終身雇用は崩壊し実力主義が国内企業を襲った。経営者にとって最大の固定費である人件費抑制のために実力主義による賃金体系は、好都合であった。日本と日本企業の文化と新たに加わった実力主義による雇用体系は、なかなか整合性を持つことができずにここまで進んできている。文化と制度のひずみの中で、文化に基づくような人材の雇用を行うことは困難になっている。このような状況下では、優秀な人材がいるなら、手に入れるべき時代になっているということである。優秀な人材の積極的雇用は、現在のグローバル化が後押しをしてくれそうである。実際に、優秀な海外の人材を登用する動きが少しずつ出てきている。日本国内の企業も、人材のマーケットを国内だけではなく海外にも広げ始めている。

企業における人材は、資源としての有効活用のためにも、育成していく必要がある。また、優秀な人材が外にいるのであれば、それにも触手を伸ばす必要があろう。企業にとり、人材の内製と外部導入は、二者択一ではなく、両方ともに重要なことであると思う。

企業の人材の育成と優秀な人材の外部導入が進むと、企業は、あらたなジレンマを持つことになる。企業が一生懸命人材を育成し、外部からも積極的に優秀な人材を受け入れることは、育ったヒトが、企業外への流出することを意味する。折角育った人材は、どんどん外に出ていくという矛盾が生じることになる。企業は、この新たなジレンマに対しては、優秀な人材が流出しないように、より魅力的な企業になることで対処するしかないのであろう。